2014年4月3日木曜日

"J'ai mangé du poisson."

「今日のぉ、お昼はぁ、何を食べましたかぁ? 覚えていますかぁ?」
介護保険制度のサービスを申請すると、調査員が家庭訪問をし、サービスを受けるにふさわしいかどうかを調べる。身体機能をはじめ本人の状態を知るために、おびただしい数の細かい質問を投げかける。対象は高齢者で、調査員より何十年も多く生きている人々だが、調査員は一様に、まるで幼児に話しかけるように優しく優しく優しく語尾をのばした粘度の高い口調で、首を傾げて語りかける。
「おさかな」
ぼそっと、母が言う。
「はい、おさかなぁ」
「おつけもの」
「はあい、お漬け物ねぇ」
「にもの」
「はあい、煮物ですねぇ。何の煮物でしたかぁ?」
「……」
「はあい、いいですよぉ、また思い出しといてくださいねぇ」

父が亡くなって9年が経った。つまり、父が要介護度2とまず認定されたのは10年前になるのだな。父の介護申請をし、初めてこういう世界に足を踏み入れたとき、人間とはなんと面倒な生き物なのだろうとつくづく思った。年をとると子どもに返るというが、それはその老人を子ども扱いすべしということではない。だが、しかし、先述したように、幼児に語りかけるようにゆっくりと、平易な言葉で優しくいわなければ、やはり高齢者たちは何を言われているのかわからないのだ。自分の親がまるで聞き分けのない3歳児のように扱われているのを見て激怒する人もいるというが、気持ちはとてもわかる。わかるが、本人たちを70年80年90年と生きてきた人生の先輩として尊ぶからこそ、どのようなことであれ本人の意思を第一に大切にしたい。なにがなんでも本人の気持ちを引き出し、その意思に沿った介助をしたい。けっきょく、そうして、理解を早めるための手段としての幼児言葉なのだ。

調査員、ケアマネ、介護用品の販売員、施設のスタッフ。介護の現場で働く福祉士のみなさんの苦労は想像を超えているだろうが、それよりも、どうにも解消できない違和感が立ちはだかり、ああほんとに世話になってるなあ、彼らを労いたいわ……という気持ちが萎えていく。

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