2014年9月29日月曜日

"Ce n'est pas évident, voir un bébé, mais il est toujours si beau, le bébé."

今月初め、予定日より一日早く、Mちゃんに男の子が誕生した。3000グラムを超える大きな赤ちゃんだ。比較的安産で、イタタ、と言ってる間に生まれたとな。
めでたしめでたし。

さて、Mちゃん夫婦の新居は東海地方なのだが、今回は里帰り出産をしたのである。Mちゃんが選んだ産院はウチの近所。私の足なら歩いて5分、信号待ちに遇ったらプラス1分くらいかな。古くからあるので地域では馴染みの産院である。母もその名前をよく知っている。だから「生まれたら、見にいこな」と、Mちゃんが大きなお腹を抱えてウチを訪問してくれたときからそれはそれは楽しみにしていた。

誕生の一報を聞いて私たちはさっそくMちゃんを訪ねる段取りをした。母は二つ上の実姉も誘うという。
「そんなら早めにいうて、お祝いとか打ち合わせしといたほうがええんちゃうの」
「そやなあ。姉さんに電話するわ」
と言い終わるやいなや母は電話のそばへ行くため腰を上げようと何回もトライしようやく電話機にたどり着き、そらんじている伯母の番号を押した。何度も同じフレーズが母の口から繰り返されて、ようやく話がまとまったらしい。
「明日、10時にウチへ誘いに来るて」

伯母は母より年が上で過去に大病も患ったのに、背筋は伸びて足もしっかりしていて、母と一緒にいると母が伯母の十歳上の姉みたいに見える。ところが若干物忘れが激しい。ここ何年かの間に不幸が何度もあったので、親族どうし会う機会が多かったが、母の兄弟姉妹たちは皆頑健でしゃきっとしているように見え、その実、やはり頭は母がいちばんしっかりしているということを、私は幾度となく確認した。いや、もちろんそうでないと困るが、動かないで日がな一日ボサーと座っている母にボケの兆しはなく、お稽古事に行ったり畑仕事を続けたり写経に通ったりしている母の兄や姉は、どうも会話がかみ合わなかったり、伝言が伝わらなかったり、昨日と同じ話を今日もしたり、といささか心もとないのである。

翌日、10時前になったので母はそろそろと玄関口のほうへ動き始めた。伯母がきたらすぐに出られるように。しかし10時を少し過ぎた頃電話が鳴った。伯母だった。
「お祝いてなあ、やっぱり午前中に行かなあかんやろか」
「え? 伯母ちゃん、今日来れへんようになったん?」
「いや、そうやないけど、まだこれから用意するし」
「そうなん? ウチのお母ちゃん10時に約束したて言うたはったえ」
「あ、そう? 10時て。今何時……10時まわってるなあ」
「待ってるから用意できたら来て。とにかく母に代わるし、そう言うてくれる?」
といって母に受話器を渡した。
「あんた、どないしてんの……待ってるえ……11時半までに来れへんか? そうか、ほな待ってるさかい来てや」

子機を私に渡しながら「11時に行けるっていわはんねん、けど、私は無理やと思うねん」とつぶやく母。
「ほな、気長に待ってたげよ。産院はすぐそこやし。11時に行くって伯母ちゃんが言わはったんやったら来ゃはるやろ」
と私は応じたが、11時を10分ほど過ぎたあたりから母がぶつくさと文句を言い出した。
「ほんまに姉さん、何したはんにゃろ」
「11時に来るのなんか無理やってさっき自分で言うてたやん、予想してたとおりやん」
「言うてたけど、それでも来ゃはるかなと期待したのに」
11時20分。
「もうほんまに、何してんの」
「これからぜったい姉さん誘わへんわ」
「いいかげんにしてほしいわ」
怒り心頭である(笑)。
しかしいくらなんでもそろそろ到着だろうと思い、私は外出の用意の仕上げにかかった。
11時半を2分ほど過ぎて、伯母が来た。「ごめんごめんー」
まあ、なんつーか、よかったよかった。というわけで3人で出かけた。

しかしほんとうにたいへんだったのはここからである。

母の足だと15分はかかるかな、と思っていたら25分かかった。近所とはいえ、その産院はいつもは歩かない方角にあり、道に馴染んでいないので、思わぬ段差や突起物に遭遇しやしないかと慎重に歩を進めざるをえなかったことも理由のひとつであるが、とにかく足の力の衰弱は甚だしい。リハビリデイサービスも、まったく効果なしである。

ようやくたどり着いた産院は、玄関口に高い高い石段があった。これでは手押し車は役に立たない。伯母と二人掛かりで母の足を段に乗せ体を引き上げる。ようやくドアを通過すると今度は「スリッパにお履き替えください」の札が。2足制だとぉ〜? 母は立って靴を脱ぎスリッパに履き替えるなんて芸当はできないのだ。
「すみません、椅子を貸してください」
受付には数人の女性がいて、私たちが入るのを見守っていたようだが、様子を見て声をかけるとか手伝おうとかしに来いよ、と私は内心あきれ果てていた。しかし当然かもしれない。ここは産婦人科医院だ。高齢者の来るところではない。職員も気が利かないのだ。
ようやく、ウチの母が相当に動作に難儀なことが伝わったのか、椅子を持ってきた女性が「申し訳ないんですけど、エレベータはあちらの奥です」と待合室の向こう側を指さした。そして「ここも昇っていただかないと……不便なつくりですみません」と待合室手前の3段ほどの小階段を指し示した。私と伯母は母の両脇を抱えて昇らせた。
「はあ、ひと騒動やなあ。かんにんえ、私のためになあ」
すまなそうな顔で姉に詫びる母。さっき怒りまくってたのが嘘のようだ。ま、これでおあいこだ。
それにしても、入口の大きな石段といい、室内のあちこちにある段差といい、ひとつ間違えれば妊婦さんだって転倒の恐れはある。この産院、建物のつくりはいささか前時代的だ。これだと遠からず妊婦も来なくなるんじゃないかと思うけれども……。

そしてようやくようやくようやく(笑)たどり着いたMちゃんの部屋。赤ちゃんも小さなベッドに眠っていた。
「わあ、ちっちゃーい! 可愛い〜〜」オババ3人で歓声を上げる。
Mちゃんのひとまわり年上のダンナもいた。私は笑いがこみ上げるのをなんとか押さえながら「初めまして」と簡単に挨拶をした。ダンナは腰の低い、好感の持てる態度だったが、知らない人ばかりが来てお祝いを置いていったりするのにどう対処したらいいのかわからないふうだった。ちゃんと挨拶しないといけないんだけど何をなんて言おう、みたいな顔をして、少々うろたえているふうだったがでも嫁のベッドの端にちょこんと座り、たいへんリラックスしたふうでもあった。ま、オババ3人にとっては彼のことはこの際どうでもいいのであった。

私が代表で、赤子を抱っこさせていただく。
ちっちゃい。軽い。こわれそうだ。私の腕の中で、しきりに顔をくちゃくちゃさせて、突然賑やかになった周囲の音が耳障りなのだろうか、でも目はなかなか開かず閉じたまま、しかし口は何度も大きく開けてあくびをした。
「ごめんなあ、おねむやのに。おばちゃんうるさいなあ」
冬に友人に子が生まれ、また別の、こことは違ってたいへん新しい産院を訪ねたときも、抱っこしてしきりに話しかける私のことなど全然見ずに、赤子は顔いっぱいに口を広げてあくびをしていた。そうそう、子どもは寝るのが仕事。寝てても、顔をくしゃくしゃにしても、あくびばかりしていても、赤ちゃんって美しい。命の発露そのもの。真っ赤な小猿みたいだけど、光り輝いているのだ。

Mちゃんを訪ねるまでの長い長い旅路(笑)の話を少しだけ披露した。
「ほんまになあ、私がこんな足やから、たいがいやないわ、ここまで来るの。赤ちゃん見に来るのってひと仕事やわ」
「ありがとうございます、おばちゃん、そんなたいへんやのに来てもろて」
「それでもそないしてでも、来る値打ちあるえ。赤ちゃんはええわあ。可愛いわ、ほんまに可愛いわ」と母。
「元気、もらえるわ」と伯母。

産院をあとにし、伯母と別れたあと、商店街の漬け物屋さんへ足をのばした。疲れただろうと思ったが、お漬け物を買いたがっていたので尋ねると、「行く行く」という。
漬け物屋さんのおかみさんは母のおしゃべり友達で、毎日のように買い物に来ていた頃は必ず足を止め、子育てのこと、姑のこと、実の親兄弟のことなどふたりで愚痴の大売り出しをし合ったそうだ。今、商店街ヘ行くのは母にとってあまりに「遠足」だが、漬け物屋さんにはときどき連れていくことにしている。
「姪の娘に赤ちゃんが生まれて、見てきたんえ」
「そらええわあ。できたてほやほやや。生命力、もらわんとなあ」

ほんとうに、Mちゃんの赤ちゃんのおかげで、母には少し活力がついたように見えた。
しかしそれから間もなく、ちょっぴり活気づいたことが徒になる出来事が起きてしまう。
まったく、物事はうまくいかないようにできているらしい。