今月の初め、数か所のリハビリデイサービス施設を見学した。
なかなか興味深い体験だった。
介護保険施設にもかかわらず、来ている高齢者の元気なこと(笑)。アンタたちほんまに要介護老人なのか? いや、たいした運動をしているわけではない。ただ、みなさん、表情が明るく、生き生きしておられるので、ことさらお元気に見えるわけだ。
母がとても、みすぼらしく見える。
高性能なマシンが並び、おじいさんおばあさんたちが思い思いにゆるゆるとトレーニングするさまは、スポーツジムとは明らかに異なるけれども、現在母が通うデイサービスセンターの雰囲気にはない「活気」がたしかにある。
マシンを利用する高齢者は、要介護老人のはずなのに、なんとなくスポーツマンの凛々しさを表情に湛える。
「お試し体験」でマシンに座らせてもらう母。言われるままに手足を動かす母。
これほどエクササイズマシンの似合わない図があるだろうかと思うほど、母の様子は、この空間に場違いであった。
母は、ちょうど一年前に胃潰瘍のためひと月入院した。
胃潰瘍だから、入院したのではなかった。いきなり食欲が減退し、食べようとしても食べられない。そんな状態が続いた。
それよりさかのぼること1週間くらい、転倒して鎖骨を骨折していたのだが、そのこととの関連はなさそうであった。咀嚼ができなくなったのかと思い、おかずをすべてポタージュ状にしたり、 飲み物にとろみ剤を入れて飲み込みやすくしたり、手を尽くしたが、ひと口、ふた口くらいでもう受けつけない。母は「なんでかわからへんけど、食べられへん」というばかりで、痛みや苦しさをまったく訴えない。
当時、私は朝食は一緒に摂ったが、昼・夜の食事は準備してつくっておき、温めればいいだけにして出勤していた。
午後の途中で、娘が学校からいったん帰宅し、洗濯物を取り込み、母が食べたかどうかを見てくれる。
「おばあちゃん、何も食べたはらへん」とメールが来る。
非常に心配される状態だったが、母につきっきりでいるわけにいかなかった。
仕事はいつものサイクルで繁忙のピーク。さらに、娘がバレエ発表会の本番直前であった。衣装のサイズ調整やシューズの滑り止め、舞台小道具の制作など、連日針仕事にも追われていた。さらには楽屋番として差し入れの買い出しまで。
なにより、母は孫の舞台をことのほか楽しみにしていた。今主治医に見せると「即入院」と言われそうな予感がして、発表会が終わるまで頑張ってくれの内心祈りながら、母の口元にポタージュを運んだ。
舞台が終わり、翌日すぐに糖尿病をみてくれている主治医を受診したら、消化器系の医院に紹介され、エコーで胃腸を診察。だが異常は見つからない。
翌日も、翌々日も食欲は戻らず、目に見えてやせ細ってきた。仕事で動けないので、弟嫁に頼んで主治医に診せた。栄養失調。すぐに点滴された。体重も激減。ただし、血糖値はすこぶるよかった。食べてないから当然だが、皮肉なもの。
すぐにベッドの空きを検索してもらい、家から近くの総合病院で受け入れてもらうことになった。とにかく原因不明の食欲減退による栄養失調ということで、連日、一日中点滴をした。
並行して、いくつもの精密検査が行われた。胃カメラを二度飲んで、ようやく潰瘍が見つかった。
結果的に胃潰瘍で、しかも重篤ではなかったが、この結論を導き出すのに、約ひと月ものあいだ母はほとんど運動らしきことをせず、ベッドの上で過ごす日々を送った。上げ膳据え膳、簡易トイレもベッド脇にセットしてもらい、移動は車椅子。
この病院でのひと月ですっかり筋力が衰えてしまった。
ほんとうに、それでなくても衰えていた母の筋力は、この悪夢のひと月で徹底的に弱ってしまったのだった。
退院して帰宅した母は、自分の「歩けなさ」に驚き、戸惑った。杖を使えばすんなりと移動していたのに、杖をどうついても、足がついてこない。足を思う場所へ引き寄せることができないのだ。
以前から、立ち座りに難があったが、自力では腰が上がらなくなった。ダイニングに居る時は、テーブルにしがみついてようやく立つ。ベッドからは、そばにある家具をつかみ、ベッドサイドをつかみ、そのほかあらゆるものにつかまって立つ。
前からしょっちゅう転倒していたが、より頻繁になった。
6月からデイサービスに通うことになったが、入院騒ぎがなかったら4月から通所予定で進めていたことだった。ただし、当初は「昼間たいしたことをせずに家に居るより出かけたほうがいいから」という理由だった。介護度「要支援2」の母は、たいていのことを自分でできる人、と認定されていた。……はずなのだが、入院のせいで歩行とそれにまつわる動作が極端に困難になり、受け入れる施設側スタッフにも戸惑いの色が見えた。その人にどの程度手を取られるか、は受け入れ側にとって大きな問題だ。
介護度の認定をやり直すことも検討したが、私の都合で土日しか来てもらえないので日程調整にまず非常に苦労する。認定されたらされたで「会議」を開催せねばならずその日程調整。最初の認定で振り回された記憶がまだ新しくて(それはケアマネも同様だったと思う)、ちょっとげんなりしていた。そんなこんなしているうちに更新時期が来る……と思って変更申請はしなかった(これについてはたいへん後悔した)。そして、デイサービスセンターには、「要支援」のままで母をほぼ「介護」していただくこととなった。
デイへ通所する日々にも慣れ、孫の不在にも慣れ、動かない体にも慣れ、母は起伏のない日々をそれなりに暮らしているが、弱った筋力はますます弱まる一方で、家庭内ですら「できること」が減っていく。できることが減ると動くことがますます減る。
母自身もこれではいかんと、天気のいい日は散歩に出たりする。
しかし外へ出ると甘いお菓子を売る店がわんさかある(笑)のでつい買い込み、厳禁されているのにたらふく食べてしまい、血糖値がまた上がって主治医に叱られる(笑)。
もうひとつ、歩くことは糖尿病フットケアの医師から禁じられている。
神経障害を起こしているせいで胃潰瘍の痛みにも無感覚だったのだが、退院直後、足を引きずってしか歩けなくなっていて、そのせいで足に大きな靴擦れをつくった。それが悪化し、手当を尽くしても、もう10か月、治癒しないのだ。靴擦れは皮膚潰瘍となり、膿んでは緩解、膿んでは緩解を繰り返している。足から出血していても気づかず、まったく痛いと感じないまま、ばい菌が入ってしまったのだった。フットケアドクターによると、高齢や糖尿による回復力の低下もあるが、歩いてできた傷だから歩くことが最も治癒を妨げる。早く治すには歩かないことがいちばんだ。あるいは、傷口に圧力がかからないような特殊な矯正靴をオーダーし、四六時中それを履く。
非現実的。
ダイニングテーブルの上に置いたポータブルプレイヤーに高齢者体操のDVDをかけ、椅子に座ったままでもできる体操レッスンを観ながら、えっちらおっちら、見よう見まねで手足を動かす。そんなことも日課に加わった。歩くのが御法度なら、歩かずに運動すべし。
しかし、当然のことながら、こんなことでは筋力低下に歯止めはかからない。
先月初め、路上で転倒した。止まってくれたタクシーに乗ろうと、近寄りかけてバランスを崩したのだ。
その数日後、今度は家の中でバランスを崩したらしい。本人もうろ覚えでもはや想像するしかないが、転倒した時に冷蔵庫か何かの角でしこたま額を打ったらしい。ジャイアンに殴られたのび太だってこんなひどくはないよというくらい、大きな黒い輪っかが目のまわりにできてしまった(まだ消えない)。
派手な転倒を繰り返して命取りになってしまう前にできることがあるはずだ。「なんとかしてください」と訴えた。母が要介護状態になるのを防ぐために「介護予防」の名目で「要支援2」がつけられたはずだ。「介護予防」のためにケアしてくれるんなら、予防してもらわなくてはならない、なんとしても。筋力アップのためのリハビリを受けられるように手を打ってくれ。「要支援2」の認定が行く手を阻むなら、あらゆる手を使って介護度が上がるように計らってくれ。月イチで訪問したり電話したりして母の様子を窺っているケアマネも、事態は外から見るより深刻だと気づいてくれたようだ。
京都は高齢者の割合が非常に高いので、たとえば特養ホームの「待機高齢者」の数がすごいのだ。「待機児童」の比ではない。冗談みたいな、ほんとの話。リハビリデイサービス施設も同様で、キャンセル待ちではある。しかし、母は、何か所かお試し体験をして、運動すればもっとよくなれるかもしれないという手応えを感じたらしい。
「運動しな、あかんな。ああいうとこへ行ったら、できるな」
日常生活で「できる範囲」のことだけするのとは大きく異なるということを実感したようだ。
リハビリに通える日が、待ち遠しいな、母ちゃん。
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