2014年5月7日水曜日

"Si t'en avais fait avant, tu pourrais en faire cadeau."

冷凍庫には実山椒がたくさんある。
一握り、いや二握りくらいか、少量ずつ小分けしてビニール袋に入れたものが数包み。
そのうちのひと袋を炊いて、ちりめん山椒をこしらえた。

実山椒は、母がまだ台所に立っていた頃、買っては冷凍保存していたものだ。日付を書いておいてくれれば古いものから使えるのに、と私が文句を言うと、どれも一緒や、などと言う。母は旬のものが出回ると必ず(けっこう大量に)買い求め、あるものはそのまま、あるものは下ごしらえして、よく冷凍した(彼女の欠点は日付を書かないことと、冷凍したことを忘れることである)。実山椒は、商店街の露店の八百屋でいつも買っていたようだ。毎年筍を買う八百屋とは別の、行商に来ている八百屋だ。

母はよく佃煮をつくった。昔から、母は派手な料理は苦手だった。雑誌や料理本に載っている、または料理番組で放映された、そんな料理を見よう見まねでつくってくれたが、いつもさほど美味しくなかった。出来合いのカレールーで仕上げるカレーでさえも、たいして美味しくはなかった。ただ母はたいへん忙しいにもかかわらず、味はどうあれ食事の支度を投げ出すようなことはけっしてしなかった。私も弟も、よほどの場合を除いて文句を言わず黙々といただいた(ごくたまに、「よほどの場合」もあったのだが)。
そんな母だけれども、干し椎茸や、だしをとったあとの昆布をじゃこと炊いてつくる佃煮はとびきり美味しかった。葉つき大根があれば葉は捨てずに大根葉の佃煮にした。そうした佃煮に、実山椒が入ることも頻繁だった。
私たちは、母の佃煮とご飯があれば、主菜も副菜も不要であった。佃煮とご飯で延々と食べ続けることができた。そういえば漬け物も、祖母のぬか床を引き継いで母が漬けていた。佃煮と漬け物があれば、地味だけど十分な食卓だった。思えばオール自家製で、たいへんスペシャルであったといえるではないか。

その後子どもたち(=私たち)が成長し、食べ物の嗜好も少しずつ変わり、台所家電も進化して、母の手料理のレパートリーにも少しずつ洋食系が加わっていったが、母は相変わらず、だしをとったあとの昆布をリサイクルして佃煮をつくった。瓶に詰めてお隣におすそ分けすると、お隣からは別のお手製の佃煮が返ってくる。それもまた、格別に美味しい。


けっきょくは私も、同じことをいま、している。だしをとったあとの昆布と、根菜の葉や皮を刻んで炊き合わせ、佃煮にしたり、ちょっと趣向を変えてオリーヴオイルと白ワインで煮詰めたり。母と私の食卓にはそんな小さなおかずが点々と、焼き魚を取り囲んで並ぶ。

「これ、美味しいなあ、あんたのちりめん山椒」
「冷凍庫にほったらかしになってた山椒でも、ぴりりとええ味するもんやな」

過日の札幌出張の折りに会った知人には、老舗Q堂のちりめん山椒をひと包み、手土産に持っていったが、
「行く前につくってこれ持ってってあげたらよかったのに。Q堂なんかより、ずっと美味しいえ」
……。そら、どもおおきに。

有り難き言葉なれど、冷凍庫の中でいつから眠ってたかわからん実山椒ではちょっと……ねえ。
とはいえ、我ながら、ほんまに、美味しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿