2014年5月11日日曜日

Fête des mères

2014年5月11日、5月の第2日曜日。日本では、「母の日」である。
日本では、と書いたのはこの母の日というもの、世界各国で祝う日がずいぶんと異なる。……と思っていたんだが、たしかにいろいろあるけれどもけっきょく日本と同じ5月第2日曜日というのが多数派のようである。なーんだ。
フランスでは5月の最終日曜日だ。
フランスに住み始めてすぐスケジュールノートを買うと、5月の最後のほうに「Fête des mères」の記載があった。へーえ、と私はなぜか、その日が日曜日かどうかを確かめもせず(だって渡仏は6月だったから5月のページはほとんど関係なかった)、フランスではその日が毎年不動の母の日なのだと、しばらく思い込んでいた。国によって違うんだよ母の日って〜などと吹聴したかもしれん……はずかしー。何日だったかなあ、その日。5月31日だったような気がする。そうだ、きっとそうだった。「フランスでは5月31日が母の日なんだよ!」って、私は何人に言ってしまっただろうか(笑)。

母のない子も多いだろうに、母、母と数日前から世の中がうるさいうるさい。

母は偉大かもしれないが、人間も雌である以上子を産むのが自然のなりわいであって、もちろん人間だからこそ産まない選択もあり、産まないからどうこう言われる筋合いもないし、つまり、母であるかどうかをそんなにやいのやいの騒ぐのってもう止めたらどうよ、と私は思わなくもないんだがどうだろうか。クリスマスは経済界の陰謀だしセントヴァレンタインはチョコレート屋の陰謀だし花粉症の増大は製薬会社の陰謀だが、母の日は花屋の陰謀じゃないのかと勘ぐりたくなるくらい、ウルサイ、ウルサイよ。およそ生物はみな雌から産み出されるわけだが、そのうち、産んでくれた母親たる雌にくっついて乳を飲むのはほ乳類だけ。おおかたのほ乳類は乳離れしたら自分で生きていくんだが、人間だけがおっぱいだけでは飽き足らず、訓練しなければ自分の意思で排泄もできないし、道具も使えないし、ルールも理解しない。しかしそれらを習得していくのは母だけに依るのか? 母以外の要素がとてつもなく大きいのでないか? 人間は、人間だからこそ喜怒哀楽があり、祝いもすれば弔いもし泣きも笑いもするのだけれども、だからってそれは、すべて母のおかげなのか?

ノンだ。

女は、産んだら懸命に育てる。本能がそうさせるのだ。何も阻害要因がなければふつうその本能が働く。正常に働けば、生活上の物質的な多寡はあれど、子は育つ。なにがしかの阻害要因があると本能は働かないこともある。人間の弱いところ(あるいは強いところか?)といえるだろう。本能が働かない女を母親にもった子には、育児放棄されたり虐待されたりといったことも起こる。しかしそれは、全体から見れば少数の、まれなケースだ。報道が盛んにされるので虐待する親が増えたなどという論説を見かけるが、大多数の女が、産めばちゃんと育てているのだ。多くの場合、特別なミッションを神から与えられたとかそんなタイソウな意識はもたずに、産んだ子が可愛いから育てるのである。

だからって、自分ひとり、あるいは連れ合いと二人でだって、完璧な子育てができるとは限らない。自分の親とか親戚のおばちゃんとか保育士さんとかご近所さんとかさまざまな人の手を借りる。母親自身、完璧に育てられた完全無欠の人間などではあり得ないのだから、その自分から出てきた子がどの程度のもんかなんてわかりきっているではないか。せめて自分が信じるものをこの子にも信じさせたい、自分がいいと思うことをこの子にもいいと感じてほしい、できることがあるとしたらその程度で、はっきりいって母親でなくてもできることだ、そういうのは。

私の母は、夫(私の父)の家業に専従していたので、私を産んですぐ仕事に戻った。というとカッコいいかもしれないが、父の母、つまり姑が孫可愛さに母から私を取り上げたのである。「あんたはややこの世話せんでよろし」と、生まれたばかりの赤子からなかば引き離されて父の仕事に戻されたのだった。昔は、自営業の家では大なり小なり同じようなことが起きていたであろう。舅姑に子育てを助けてもらえず家業と育児をすべて押しつけられていた女のほうが多かったに違いない。それはそれでたいへんな目に遭っただろうが、ウチの母のように、赤子を取り上げられてしまうのも相当辛かったであろう。私はしたがって、母の背中で聞く子守唄とか、そんな思い出が皆無だ。母と密着した記憶がないので、いつも母のことを何となく第三者的な目で見つめてきたような気がする。母のにっくき(笑)姑である私の祖母は、私を溺愛したわけだが、だからって私には、祖母はただひたすら怖かったという記憶しかないのである。女手ひとつで三人の息子を育て上げた祖母は地域の婦人会を仕切る有力者でもあり、とりあえず、私の知る限り誰もが祖母にひれ伏していた(笑)。たぶん、私に生来備わっているエラそーな性格は100%ただしく祖母から受け継いだものである。世界は私を中心に回っており世の中の全員が私のシモベという意識は長年培ったものではなくて、「血」なのだ。
祖母が亡くなったとき、「大好きなおばあちゃんが死んじゃった」というような可愛らしい感情はなく、コワいコワいバアさまがやっといなくなったという思いと、もうひとつ、こちらがより大きいのだが、自分の半身をえぐられたような、からだに空洞ができたような感覚に見舞われて、激しく動揺したのを覚えている。

いつもちょっと距離を置いて母親を見つめてきた私だったが、それではまったく母への愛情がなかったかというとそうではない。「母の日」には小学校で作文を書かされた。お母さんへの手紙を書けというのである。学校には母を知らない子が、あるいは父を知らない子も数人いたが、学校というところはそういう子どもたちへの特別な配慮は、昔はしないところだった(いまは配慮しているとはいえないが、配慮せんでもええところへ余計なおせっかいをしている)。ともかく私は母の日には母を感激させる手紙を、父の日には父が喜ぶ手紙を書いた。それらは単なる年中行事の一つと化していた。なぜカーネーションなのか、とかそうした行事のいわれなどを学んだ記憶はない。ただアメリカ由来のもんらしいといつの間にか心得ていた。外来の行事なんかもうええのに、それぞれ誕生日も祝うのにめんどくさいなあとぼそっと口に出してしまったことがある。「おばあちゃんにもお誕生日と敬老の日があるやろ、アンタらには誕生日、こどもの日、雛祭り、クリスマス、お正月といっぱいあるやんか。父ちゃん母ちゃんにも誕生日のほかにもう一個あってもええやんか」……このセリフは誰が私に投げたのだっただろうか、誰かが私に言ったのだが、誰だったかが思い出せない。誕生日のほかにもう一個。そらまあ、そやな。

自分が母親になってからは、ますます「母の日」が疎ましくなった。娘は律儀にきちんとカードをくれる。感謝の言葉が並んでいる。嬉しくないわけはないが、間違ってもらっては困るとも思う。感謝されるようなことをしてはいないのだ。産む性ゆえの当たり前の所業である。できないことは、しなかった。
私の母もまた、したくてもできなかったし、それを無理にしようとはしなかった。姑に逆らったり家業に従事しないことは家庭の破滅を意味したから。母も、できないことはせずに、身の丈に合った子育てをしてきたのである。

買い物から戻ると、「どこも母の日のカーネーションでいっぱいやろ」と母が言った。「うん。どこもかしこも。スーパーも、今日はカーネーションだらけ。100円ショップも」と答えたが、花屋の陰謀には負けたくないので(笑)買わなかった。というのは嘘で、カーネーション、高いねん。今日まで、めちゃ高いねん。明日やったら値が下がるかな(笑)。いや、ウチにはいつか弟が母に贈ったカーネーションの鉢植えがあるのだ。今年は全然花をつけないけど(笑)。要は、どうでも、いいわけである。

今日もいい天気だ。

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